発 汗

酒と薔薇とご飯とフットボールに関するものです、要はなんでもありです。(そのうち薔薇も育てます…)

2006年02月

更新をサボった言い訳

いや、お久しぶりです…(^_^;)

すんません、ついサボっておりました。
ちょっとねー
いろいろあって…(微苦笑)

でも、振り返ってみると、代表戦に言及したのはアメリカ戦じゃないですか!!!
いやーずいぶん昔の話のように思えますよねー!
ドノバン元気かなー♪ハゲ進行してるかなー

今、ドイツに行ってる「当確組」(と言われてる人達)に関していうならば
・アメリカ戦は完敗
・フィンランド戦はまぁ勝利
・インド戦は関係なし
って感じで、アジアカップの予選という位置付けのインド戦を除いたら、いったい何のための試合なのかワケワカンネと高校生みたいな物言いしたくなる試合ですなぁ…

で、今夜は(このエントリーは2月28日に書いております)
ボスニア・ヘルツェゴビナ戦じゃないですか~!!
とはいえ、ドイツでやるってのにサリハミジッチ怪我で来ないしね…(^_^;)
イングランドで試合やるのに中田英寿が来ないようなものですわ、嘆いても仕方ないけど。

あ、録画予約忘れてきた…
代表の試合にモチベーションが保てなくなって以来別に珍しいことでもないのですけどね。

というわけで、代表に関しては以上♪

いろいろ書くネタはあったのよ。
例えば
「O・Sの陰謀説」
いや、これはエルゴラで「長谷部がなんかいじめられてるっぽいぞ!」という記事を読んだ上でインド戦見たからで、要は中盤のこれ以上の競争を避けたい二人が
「長谷部にパスは出さん!」と結託したのではないかというもの(笑)

その話をしたKさんからの指摘
Kさん「でも、最後長谷部に落したの伸二じゃん」
俺「いや、だから伸二は純粋サッカー青年だから『あぁ、お前いい位置にいるな、これ決めとけ』って改心したの(笑)」
Kさん「あー、なるほどね~♪でもそれが巻の腹に当って…」
俺「ん、つくづく運のない奴だなーって(笑)」

wall_rg_800.jpg



続いてVault Radio
ホントはまともに書きたいのですよ。
まずはhttp://www.wolfgangsvault.comにアクセスして、Play Now!って所をクリックして欲しい。
なにやら古い曲が流れているのが判るでしょ?
これが何なのかってのは小さめのウィンドウの中に表示されてる。(例えば今はピストルズのアナーキー・イン・ザ・UKが流れてる。1978年の録音だ。
もっと詳しく知りたかったら
http://www.wolfgangsvault.com/InRotation.aspx?LeftNav=Audio/RadioNav.htm
↑プレイリストがある。

いったいこれは何なんだ?と思うでしょ?

実は、サン・フランシスコにビル・グラハムっていうプロモーターがいて、彼がフィルモアというコンサート会場を所有していたわけ。
フィルモアの模様は
http://sound.jp/lemonsong/fillmorewest.htm
↑こちらに詳しい。

で、コンサートの運営もやっていてグレイトフル・デッドとかツェッペリンのコンサートツァーなんかをやっていたわけだ。(ライブの模様をおさめたSong Remains the Sameには登場しているしね)
彼の遺産として、コンサートの模様を収録した音源が何テラバイトもあり、それを昔のロック少年で今は成功した実業家のビル・セーガンが買い取った。
そしてVault Radioをネット上でスタートさせたというわけです。
http://news.com.com/2100-1025_3-6040730.html

いやぁ、何かワクワクすることを始めるってのはこういう事ですよ。
このビル・セーガンという人物がどのような手段で金儲けをしたかどうか僕には判らないけど、少なくとも彼がいまやっていることは
「ロック界の、いや20世紀の文化遺産ともいうべき貴重なライブ音源を発掘し、それを無料で世界中に向けて発信している。」という事であり、その姿勢に感銘を受ける。
彼らは僕達に向けてこう言っている。

We DO hope that you enjoy the music.


僕はMixiに入っているのだが、このニュースを知って年甲斐もなく感動し、あっちゅう間にコミュを立ててしまった・・・

最後に、年寄臭く言わせていただこう(笑)

若い諸君がこうしたロック創世記の貴重なライブに触れることにより何かを得てくれたら、そうした音楽に接していた者としてこれ以上うれしいことはない。



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ウソだよ、単純に聞いて、好きだったら聞き続けてよ。良い曲多いよ♪

毛沢東語録を知っていますか?

1970年代の日本は実に妙な国で、野球監督の著書が立派にビジネス書として通用していたり、隣国の指導者の本がその政情と共に崇め奉られたりしていました。

文化大革命、紅衛兵、林彪、劉少奇等々
どーでも良いけど、ATOKって偉大・・・りんぴょうって打ったら林彪が出てくるし、りゅうしょうきって打ったら劉少奇が出てくるよ・・・ちなみに小林信彦のギャグ、「ルー・チョンキ」では出てきません。(これを知っている人はかなりのクレージー・キャッツ通か年寄)

で、その文化大革命が当時の日本では「毛沢東と周恩来がやってるなにか素晴らしい改革」と思われていたんだよねぇ・・・
実態は権力闘争だったわけなんだが・・・

でもって、その文化大革命当時、紅衛兵がかざしていたのが「毛沢東語録」
こういう画像は40台以上の人には懐かしいんじゃないか?
koueihei.jpg


あまりにポピュラーかつインパクトのある風物なので、あちこちに流用されたりしていた。
下は元ソフト・マシーンのロバート・ワイアットが作ったマッチング・モウルという名前のバンド。キング・クリムゾンのロバート・フリップをプロデューサーに迎え、ENOのサポートを得て作ったアルバムタイトルがLittle Red Record、毛沢東語録の事をLittle Red Bookと呼んでいたところから来てるんだけどね。(こんな注釈が必要になるとは思わなかった・・・)

little.jpg


で、まぁその毛沢東語録なんだけど、どんな事が書いてあるかというと・・・
超有名なのが
「帝国主義とすべての反動派はハリコの虎である」
「敵と闘争するため、われわれは、長い時間をかけてこのような概念を形成した。それは戦略的にはすべての敵を軽視し、戦術的にはすべての敵を重視せよということである」
「「革命とは、客を招いてごちそうすることでも無ければ、文章を練ったり、絵を描いたり、刺繍をしたりすることでもない。そんなお上品でおっとりとした雅やかなものではない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なのである。」
あたりか・・・
まぁ、2番目の言葉なんてのはビジネス書に出てきてもおかしくないやね。
Riskは最大限に見ろ、販売の現場では「屁でもねぇ」という気構えを!なぁんてね(笑)

70年代当時の日本ではあちこちで「大中国物産展」が開かれて、紹興酒だとかアーモンドクッキーなんかに混じってこの毛沢東語録も売られていたわけだ。なんせ、中国本国ではまさにバイブル扱い、マジで暗記しておかないと街角に三角帽をかぶらされて「走狗」なんて顔に書かれて晒し者にされたわけだからな。

その毛語録をビジネスに活かそうとか「毛語録に見る経営の実践思想」なぁんてのが雑誌の特集記事になったりしていた。ついでに言うと、川上哲治が名将と崇められて、彼の著書が立派なビジネス書としてまかり通っていたんだな。
勝機は心眼にあり―球禅一如の野球道
ね!?凄いでしょ?
心眼だよ、球禅だよ野球と禅は一緒のものだと言っておられるわけだよ(笑)
おまけに野球道だからね~
ダメだよぉ、こんな奴が監督やってるチームに9連覇もさせちゃ・・・


えっと・・・話を戻す。

当然今の中国では毛沢東語録なんてとうに忘れ去られ、資本主義の道をまっしぐらに進んでいるわけなんだが・・・実は政体から指導者、軍政のありかたまで変っているところは無いんだよね。でも、毛沢東語録じゃないと・・・

日本でも文化大革命の幻影が失せ、毛沢東自身の威光も褪せてくるようになると、毛沢東語録を見ることもなくなった。今では古本屋でもめったに見つからないらしい。これは塩野七生さんもどこかで書いていた。

そういう事を思う40代以上のツボを狙い撃ちする「平凡社ライブラリー」がやってのけた。
毛沢東語録再発売
今読んだらおもしろいだろうなぁ・・・と手に取ったのだが、この平凡社ライブラリーの唯一の欠点。高いんだよね・・・(^_^;)

新書版で1200円はつらい
山下洋輔とかヴァレリーとかカレル・チャペックの短編集とか・・・
欲しいものは色々とあるのだけどねぇ・・・

吉田健一について

某SNSでバトンを頂戴した。

あまりあちら向きの話題でもないので、こちらに書こうと思う。
タイトルは『ヨシケン』すなわち『吉田健一』
吉田健一とはこちらにあるとおりだが、稀代の酒飲みだという事は書かれていない。
彼のエッセイなどを読んでいると、まるで酒が水のように彼の中に入っていく様子が目に浮かぶようだ。李白と良い勝負なんじゃないかと想像したりするが…

ともかく、バトンだ。

Q1.パソコンまたは本棚に入っている『吉田健一』は?

PCには何もない。
実にパソコン向きじゃない作家だね。
一方で本棚には山ほどあるなぁ。畢竟の大作「ポエティカ」上下巻をはじめ文芸評論、小説、そしてエッセイなど…
一方で全集は持っていない。学生時代に買うには高すぎた上に、ほとんどのものが重複するわけで、そこまでするほどの僕は「愛書家」ではない。
とりあえずざっと数えてハードカバーで15冊くらいか、あとは文庫で5~6冊はあるはずだ。


pisaro.jpgQ2.今妄想している『吉田健一』は?
吉田健一の視点は常に想像力、イマジネーションをベースにしている。写実的に見えて、そこには書かれているものの奥に浮かび上がってくるものがある。敢えて喩えればカミーユ・ピサロの風景画のようなものか。

「英国の文学が英国のものである以上、我々は先づその文学を生じた英国と英国人に就いて考へなければならない。」
という文章から始まる「英国と英国人」だが、吉田健一はこのあとで英国の自然環境についてその最も厳しい部分から説き起こし始める。すなわち「冬の辛さ」である。
まぁ、確かに怖ろしいほどの寒さと冷たさ(この二つは確実に違うからね)、そして寂寥と孤独がくっついて来るわけだ。
「英語に日本語では訳しようがないgaunt, dreary, drab, grinといふやうな陰惨な現実を指す言葉が幾らもあるのは、さういふ英国人の生活の一端を示すものである。」
今、公開されている映画「オリバー・ツィスト」ですら甘いということか…
ちなみにgauntとは
[1]〔人が〕げっそりとやせた, やつれた,([類語]骨張ってごつごつした様子; →slim).
a ~ old man やせこけた老人.
The refugees looked ~ and starving. 難民たちはやせ衰えて飢えている様子だった.
[2]〔場所, 土地が〕荒涼とした, ものすごい.

もの凄いと言われてもねぇ…

まぁ、そういう考えたくもない冬が(僕の友人の海外居住者の多くはそういう冬を耐え忍んでいるわけだが)終わりそうになる春の喜びが一際大きいのだと。
「小鳥が多い英国で、鳥が一羽もいなくなったのも同然の冬の後でこのthrushといふ小鳥の声を聞く時、自分の心の周りにも凍り付いていた氷が解けて来たような感じがする。」

そして、さらにその夏が如何に素晴らしいかという事を語るのに、あの有名なシェイクスピアのソネットを持ち出してくるわけだ。

Sonnet 18
Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date:
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance, or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall death brag thou wander'st in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st;
So long as man can breathe, or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.

ソネット 第18番
君を夏の日に譬えようか。
君は更に美しくて、更に優しい。
心ない風は五月の蕾を散らし、
又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。
太陽の熱気は時には耐え難くて、
その黄金の面を遮る雲もある。
そしてどんなに美しいものでもいつも美しくはなくて、
偶然の出来事や自然の変化に傷つけられる。
併し君の夏は過ぎることはなくて、
君の美しさが褪せることもない。
この数行によって君は永遠に生きて、
死はその暗い世界を君がさ迷っていると得意げに言うことはできない。
人間が地上にあって盲にならない間、
この数行は読まれて、君に生命をあたえる。


吉田健一が優れた批評家であるのは、こうした英国の良い部分を愛することを隠そうとしない一方、盲目的な礼賛ではなく批判的な立場に身をおくこともあるのだ。
「我々はリットン・ストレェチェイとともに、『一方では繊細極まりない感情を盛った十四行詩に耳を傾け、一方では狂い立った熊が犬を何頭も引き裂く見世物を楽しんだ』エリザベス時代の英国人を一つの謎と考えてもいい。」

いずれにしても、この場所から吉田健一の逍遥が始まる。それはエリザベス時代、そして18世紀のスウィフトを頂点として裾野の広がる英国文学であり、もう一方ではポール・ヴァレリィ、ラフォルグ等のフランス文学である。

こういう文章を書いていると、堅くなっちゃってイヤなんだよね。
吉田健一本人は非常に楽しい人なのにね…
「ディヴェルティメントなんてのは貴族が食事しながら演奏させてた謂わばBGMなんだから、今聞くにしてもある程度満腹で酒が入っているほうがいい」とか語ったりしてね。
人間の振幅と懐の深さが彼の魅力であります。

Q3.最初に出会った『吉田健一』は?

ご他聞に洩れず、簡単なとっつきやすいものから入った。
「私の食物誌」
「酒肴酒」
「酒に飲まれた頭」
「頭の洗濯」

その後、小澤書店から出版された「詩と近代」やらの文芸評論に触れ、次第にのめりこんでいったものです。

Q4.特別な思い入れのある『吉田健一』は?

18世紀という時代、そしてその時代に生きた人間の「悟性」を最大限に評価しているという点。
※悟性ごせい
〔 (ドイツ) Verstand; (英) understanding〕 《哲》
広義には、論理的な思考を行う能力・知力を指していう語。知性。
カント・ヘーゲルでは、さらに理性とも区別される。
(ア) カントでは、理念の能力である理性と異なって、感性に受容された感覚内容に基づいて対象を構成する概念の能力、判断の能力をいう。
(イ) ヘーゲルでは、具体的普遍の認識に至る理性に対して、物を個別的・固定的にのみ見て統合しえない思考の能力、非弁証法的な反省的・抽象的認識能力をいう。 → 感性 → 理性

ヘーゲルの解釈よりは広義の方だろうと想像できるが、しかし吉田健一の語る「悟性」にはカント的な解釈の影もうかがえる。

さて、何故18世紀なのか?
英国においては散文の完成だという。「半ば抒情的で半ば分析的な性格の英語というもの」ができあがったことが、1755年にサミュエル・ジョンソンの英語辞典の編纂に象徴されるように英国文学の頂点だという。
同時に形而上的な部分ではベイコン、ホッブス、ロック、バークレイ、ヒューム、スミスなどの英国哲学が嘗てないほど開花した時代である。
英国のみならず、フランスではルソー、ヴォルテール、モンテスキュー等の啓蒙思想の巨頭が世に出てフランス革命の思想的裏付けとなった。
ドイツでもカントやヴォルフを輩出。

吉田健一の主張を読んでいると、確かに思想的分野において20世紀は非常に貧弱、19世紀ですら20世紀の後追いをしているに過ぎないと判断できるのだ。それは18世紀末に誕生したニュートンが拓いた科学の分野でもほぼ同様の状況だ。



さて…

僕はなんとかこの長くなりすぎたエントリーを〆ねばならない。
まぁ、こうした場合よくある手法としては最初の議論に立ち返ってそこに解釈を加えるということになるのだが…
僕は吉田健一には解釈も評論も加えたくないので、冒頭に引用したシェイクスピアのソネットについて、吉田健一が語っている「恋する作者としてのシェイクスピア」を引用して終わる。
ソネットの緑色の部分のことです、ちなみに…

「シェイクスピアは彼の恋愛の一環としてこれらの作品を書いているのであり、完璧な表現を得ることによって彼が愛する存在を不朽にすることを考えているのであって、詩を書くということを仕事として課しているのではない。又かくして詩を書くということは行為たることを得て、作品の背後には詩人が息づいているのが感じられる」

かすっただけとはいえ、このような視点を持てる文学者と同時代に生きられたことに感謝したい。

yoshida.jpg

久しぶりに代表監督批判

アメリカ戦が終了、日本代表は前半0-2、後半2-1という結果で敗れた。

宮崎合宿以来、フィジカル的には「底」の状態にあるわけでエルゴラッソの練習レポートなどからも状態の悪さはうかがえた。
だから、ある意味2002年代表の「北欧遠征ノルウェー戦」のような状況だったわけで、結果だけをあげつらってどうこういうつもりはない。
むしろ、後半投入された選手が試合を活性化させてくれた事に感謝したいほどだ。

とはいえ、代表監督には激しく不満だ。
前半のダラダラぶりは、宮崎合宿以来の追い込み系の結果であり、ある意味で必然だった。しかし、そんな状態になると予想できないのはいったい何を考えているのか?
3-6-1を試したいのは判るとしても、なぜチームがこのような状態の時に試すかね?
ワントップ、ツーシャドーというつもりだったんだろうけど、2枚のシャドーストライカーが小野と小笠原というのは少々疑問。ならば手元にある本山と佐藤寿人でなぜいけないのか?
この代表監督はブランド好きだし、スタメン大事。だからスタメン組がどんな状態であろうととりあえずスタメンはスタメン、海外組は海外組。キャバクラセブンの頃と状況は何も変わっていない。
後半投入された選手、彼らの活躍によって試合は形になったが、その結果が何を代表にもたらすんだ?

この試合、最後の最後にはこういう形になった。
------巻------佐藤------
---本山-------オガサ---
------阿部---長谷部----
アレ--宮本--中澤--加地
本山に交代する前、小野が2.5列目でボールをさばいていた状態で1点、そしてこの形で1点取れた...

とはいえ
この形で練習した事があるのか?
そして、この形を今後も続けて行く可能性があるのか?
なんかね、今の代表の試合見てると選手交代が嵌ってるだけで、だったら最初からそれやれよって気になるわけなんだ。アメリカ代表の前半の鬼プレスとラインディフェンスの餌食になった(前半のアメリカ代表見てると2002代表の事を少し思い出しちゃったけどね)久保こそ良い面の皮だ。

前半、巻や阿部、長谷部や村井、茂庭というサブ組をスタメン起用し、アメリカ代表に疲れが見えたところで3バック、1トップ2シャドーってのもあったんじゃないのかなって想像する。


ダメなんだよ、今の代表監督ブランド好きだから…

アメリカ戦を前に

アメリカ代表のことはフォローしてないので、なんともこれがベストメンバーかどうかはさだかではないのだが…

今回の日本戦の召集メンバーはNoonan372.jpg
下線部※
GK
22 Hartman, Kevin
24 Reis, Matt
18 Wells, Zach

DF
4 Boswell, Bobby
12 Conrad, Jimmy
3 Dunivant, Todd

6 Pearce, Heath
23 Pope, Eddie

MF
25 Carroll, Brian
8 Dempsey, Clint
10 Donovan, Landon
17 Klein, Chris
14 Olsen, Ben
5 Zavagnin, Kerry


FW
11 Ching, Brian
9 Johnson, Eddie
13 Noonan, Pat
7 Rolfe, Chris
20 Twellman, Taylor
16 Wolff, Josh


キーパーはケラーじゃないし…
レイナは怪我?
ビーズリーは無理?
ヨーロッパ組は呼ばず、MLS選抜なんだな?
まぁ、このところの親善試合に呼ばれてる面子で組んだって感じかな?

先に5-0で勝利したノルウェー戦のメンバーはこんな感じだったらしい
22-Kevin Hartman; 3-Todd Dunivant, 12-Jimmy Conrad, 23-Eddie Pope (4-Ugo Ihemelu, 83), 2-Frankie Hejduk; 5-Kerry Zavagnin (14-Ben Olsen, 79), 13-Pat Noonan (17-Chris Klein, 77), 8-Clint Dempsey (21-Santino Quaranta, 70), 10-Landon Donovan (capt.);16-Josh Wolff (19-Nate Jaqua, 67), 20-Taylor Twellman (11-Brian Ching, 83)
日本戦メンバーと重複している選手に下線をつけた※


僕のサッカーコーチによると、アメリカは、今国を挙げてというほどでもないにしろ、新しいサッカー理論をどんどん取り入れているらしい。だから、ヘタすると日本の代表チームよりもよほど論理立って筋の通った練習をしてるのかもしれないよ~
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