2005年11月
恥ずかしい思いをした事を書く。
アフリカのあちこちを旅していた頃の話だから、20年以上前かな~
アフリカや中近東でよく見かけるレストランに「レバノン料理」があった。レバノンは地中海に面し、イスラエルそしてシリアに挟まれた小さな国だ。歴史は古くというよりも、歴史発祥の地にあるといっても過言ではない。
16世紀にオスマントルコ帝国に占領され、それ以降この国の悲劇が始まる。オスマントルコ崩壊後はシリアの属国的立場でアラブ世界のメンバーとなった。1945年には独立も果たしている。土地が肥沃で農業は盛ん。オリーブ、ブドウ、野菜、柑橘類が豊富だ。自由貿易港であるベイルートを拠点に、金融と観光で栄え“中東のスイス”とも呼ばれており、首都ベイルートは同様に“中東のパリ”と呼ばれていた。女性が美しく、料理が素晴らしいことで有名なこの国の料理、中東のみならず広くアフリカ大陸にもあちこちでレバノン料理が拡がっていることは自然な事のようにも思えた。
「歴史認識」という事について、身をもって教えられたのがまさにこのレバノン料理店での出来事だった。
いや、「歴史認識」というご大層なものですらない。単純に「その国」を知らなきゃどういうことになるのかという事を恥と共に刻み込んだという事だ。
「レバノン内戦」という言葉を聞いたことがある?
詳しくはここを参照されたいが、要は戦略的に非常に重要な位置にあったこの国がイスラムとキリスト教という二つの宗教と二つの政治体制の狭間にあり、実に20年近く内戦が続いていた。
ある時はキリスト教民兵、ある時はスンニー派イスラム教と、パレスチナ難民、PLO、シリア、イスラエル、イスラム原理主義勢力ヒズボラ・・・
役者は変れどやることは同じ、「対立勢力の殲滅」をめざして内戦は激化するばかり、一向に止む気配がなかった。いまもその傷跡はあちこちに残っている。
金融?観光?そんなもの、度重なる爆撃と銃撃で何もなくなってしまった。犠牲となるのはいつも庶民、国外に逃げる術を持っている者は国外に脱出した。
脱出先でレバノン料理の店を開いて、糊口を凌ぐという人も多かったらしい。
セネガルの首都、ダカールで入ったレバノン料理店もそんな所だった。
何回かの経験で、僕はアフリカの街では「レバノン料理店」に入っていればさほど「外れ」はないと思っている。地味豊富、野菜も果物も肉も魚もふんだんに使うその料理は味わい深く、奥の深いものだ。例えば、ニジェールの首都ニアメで一番のレストランはレバノン料理店、僕はその店に疲れ果てて辿り着いて、出されたレモン・チキン(鶏のローストに塩胡椒とレモンをたっぷり振りかけただけのもの)の味をいまでも鮮明に覚えている、それほど美味しかった。パリでもロンドンでもレバノン料理店は実に多い。
そのような昔話と料理の解説を同行の日本人におこないながら、僕はモロッコのワインを飲んでいた。
『まてよ、レバノン料理がこんなに美味しいんだから、レバノンワインは凄く良いもののはずだよなぁ~』と思い、カウンターの中にいた、多分その店のオーナーであろう初老のおばちゃんに
「ねぇ、レバノンのワインってないの?」と問いかけてしまった・・・
それまで、にこやかにそして陽気にサーブしてくれていたおばちゃんの顔から笑みが消え、彼女は僕の顔を一瞥すると諦めたように
と放り投げるように口にした。
次の瞬間、僕は自分のしたことの愚かさに気づいた。
80年代後半、レバノンはキリスト教徒とイスラム教との両方の民兵組織が殺し合い、外国人の誘拐も多く発生していた。フランス国営放送のニュースでも誘拐された人、殺された人、レバノン内戦がニュース項目に上がることは珍しくなかった。
Because of the war、それはもしかしたら彼女の親族や友人が犠牲になったかも知れないこと、そしてそれは国中の産業が一時は壊滅状態になり、明日をも知れない状況でワインどころではないということ・・・
僕はそういうことを知らずに、「レバノンワインないの~?」と脳天気に聞いてしまったわけだ・・・
無知は時として罪になりうるのだ。
僕は恥じ入り、その後僕達のテーブルからは会話が消え(僕が同行者に説明したのだ)、そそくさと食事を終えて店を出た。おばちゃんの顔に笑みが戻ることはなかった・・・
爾来、その時の恥ずかしい思いを忘れたことはない。何気ない一言が人の心の傷を覆っているかさぶたを引き剥がしてしまうこともあるのだと、そして僕はなーんにも知らないのだということを・・・
なんでこんなことを書いたのかというと、つい先日あるところで
「ちょっと変ってますがレバノンのワインもありますよ」とソムリエから提案されたからだ。レバノンワインと聞いただけでビクッとなってしまった僕だけど、数十年前の思い出が懐かしく、僕はそれをオーダーした。
ボトルには1993年とあった、内戦終結は1990年。彼らは戦後即座に復興に乗りだしたということだろう。おばちゃんの顔を思い出しながら、大きめのグラスに注がれた赤を飲んだ。
香り高く、味わい深いものだったよ。
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アフリカのあちこちを旅していた頃の話だから、20年以上前かな~
アフリカや中近東でよく見かけるレストランに「レバノン料理」があった。レバノンは地中海に面し、イスラエルそしてシリアに挟まれた小さな国だ。歴史は古くというよりも、歴史発祥の地にあるといっても過言ではない。
16世紀にオスマントルコ帝国に占領され、それ以降この国の悲劇が始まる。オスマントルコ崩壊後はシリアの属国的立場でアラブ世界のメンバーとなった。1945年には独立も果たしている。土地が肥沃で農業は盛ん。オリーブ、ブドウ、野菜、柑橘類が豊富だ。自由貿易港であるベイルートを拠点に、金融と観光で栄え“中東のスイス”とも呼ばれており、首都ベイルートは同様に“中東のパリ”と呼ばれていた。女性が美しく、料理が素晴らしいことで有名なこの国の料理、中東のみならず広くアフリカ大陸にもあちこちでレバノン料理が拡がっていることは自然な事のようにも思えた。
「歴史認識」という事について、身をもって教えられたのがまさにこのレバノン料理店での出来事だった。
いや、「歴史認識」というご大層なものですらない。単純に「その国」を知らなきゃどういうことになるのかという事を恥と共に刻み込んだという事だ。
「レバノン内戦」という言葉を聞いたことがある?
詳しくはここを参照されたいが、要は戦略的に非常に重要な位置にあったこの国がイスラムとキリスト教という二つの宗教と二つの政治体制の狭間にあり、実に20年近く内戦が続いていた。
ある時はキリスト教民兵、ある時はスンニー派イスラム教と、パレスチナ難民、PLO、シリア、イスラエル、イスラム原理主義勢力ヒズボラ・・・
役者は変れどやることは同じ、「対立勢力の殲滅」をめざして内戦は激化するばかり、一向に止む気配がなかった。いまもその傷跡はあちこちに残っている。
金融?観光?そんなもの、度重なる爆撃と銃撃で何もなくなってしまった。犠牲となるのはいつも庶民、国外に逃げる術を持っている者は国外に脱出した。
脱出先でレバノン料理の店を開いて、糊口を凌ぐという人も多かったらしい。
セネガルの首都、ダカールで入ったレバノン料理店もそんな所だった。
何回かの経験で、僕はアフリカの街では「レバノン料理店」に入っていればさほど「外れ」はないと思っている。地味豊富、野菜も果物も肉も魚もふんだんに使うその料理は味わい深く、奥の深いものだ。例えば、ニジェールの首都ニアメで一番のレストランはレバノン料理店、僕はその店に疲れ果てて辿り着いて、出されたレモン・チキン(鶏のローストに塩胡椒とレモンをたっぷり振りかけただけのもの)の味をいまでも鮮明に覚えている、それほど美味しかった。パリでもロンドンでもレバノン料理店は実に多い。
そのような昔話と料理の解説を同行の日本人におこないながら、僕はモロッコのワインを飲んでいた。
『まてよ、レバノン料理がこんなに美味しいんだから、レバノンワインは凄く良いもののはずだよなぁ~』と思い、カウンターの中にいた、多分その店のオーナーであろう初老のおばちゃんに
「ねぇ、レバノンのワインってないの?」と問いかけてしまった・・・
それまで、にこやかにそして陽気にサーブしてくれていたおばちゃんの顔から笑みが消え、彼女は僕の顔を一瞥すると諦めたように
「Because of the War, baby.(戦争やってっからねぇ・・・坊や)」
と放り投げるように口にした。
次の瞬間、僕は自分のしたことの愚かさに気づいた。
80年代後半、レバノンはキリスト教徒とイスラム教との両方の民兵組織が殺し合い、外国人の誘拐も多く発生していた。フランス国営放送のニュースでも誘拐された人、殺された人、レバノン内戦がニュース項目に上がることは珍しくなかった。
Because of the war、それはもしかしたら彼女の親族や友人が犠牲になったかも知れないこと、そしてそれは国中の産業が一時は壊滅状態になり、明日をも知れない状況でワインどころではないということ・・・
僕はそういうことを知らずに、「レバノンワインないの~?」と脳天気に聞いてしまったわけだ・・・
無知は時として罪になりうるのだ。
僕は恥じ入り、その後僕達のテーブルからは会話が消え(僕が同行者に説明したのだ)、そそくさと食事を終えて店を出た。おばちゃんの顔に笑みが戻ることはなかった・・・
爾来、その時の恥ずかしい思いを忘れたことはない。何気ない一言が人の心の傷を覆っているかさぶたを引き剥がしてしまうこともあるのだと、そして僕はなーんにも知らないのだということを・・・
なんでこんなことを書いたのかというと、つい先日あるところで
「ちょっと変ってますがレバノンのワインもありますよ」とソムリエから提案されたからだ。レバノンワインと聞いただけでビクッとなってしまった僕だけど、数十年前の思い出が懐かしく、僕はそれをオーダーした。
ボトルには1993年とあった、内戦終結は1990年。彼らは戦後即座に復興に乗りだしたということだろう。おばちゃんの顔を思い出しながら、大きめのグラスに注がれた赤を飲んだ。
香り高く、味わい深いものだったよ。
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