発 汗

酒と薔薇とご飯とフットボールに関するものです、要はなんでもありです。(そのうち薔薇も育てます…)

2005年10月

額に入れて飾っておきたくなるような試合

自分のサルがあったもんだから、録画でしか見れず。
結果は知っていたのだがそんなものまったく関係ないほどもの凄くいい試合だった。

2005年JリーグDiv1,29th game 大分トリニータ Vs JEF-United千葉市原

ベルデニック就任以前のJEFを僕は知らないが、就任以後の生まれ変わったようなJEFの戦い方は今の大分と同様ではなかったっだろうか?
それにしても題に書いたように、日本もこんなに素晴らしいサッカーをするようになったんだなぁと感動する。ただ、残念なのはそれが頂点たるA代表ではなく、Jリーグの中位に位置するチームとこの前まで降格争いの真っ只中にいたチームだということだ。大分にシャムスカ監督が就任したのが2005年9月5日、それ以降の怒涛の快進撃は改めて語るまでもないが…逆説的に言うとJ1のサッカー選手のレベルは非常に拮抗していることを証明しているようなものだな。

「スケートできない人はアイスホッケーしないでしょう?!走れない人はサッカーしないでください!」(横田年男
Galoの熱血監督が数年前生徒に向かって言い放った言葉を思い出す。
フリーランニングとプレス、あちこちでクリエイティブな無駄走りとフィジカルコンタクトが爆発して素晴らしいコンテンツを提供してくれます。(湯浅風)

今、僕は2度目を見ているのだが、それにしても両チームの運動量がすごい…
大分は2枚のボランチがキーだなぁ。トゥーリオとエジミウソンが相次いで8月に復帰&移籍してきたのはあながち偶然ではないだろう。
僕には2001年のセカンドステージ、降格ギリギリの横浜Fマリノスにやってきたラザロニ監督と彼が連れてきたナザ・ドゥトラ・ブリットの3選手を思い出す。特にドゥトラの安定感は抜群で、今もって横浜の中盤を支えているからなぁ・・・
大分もトゥーリオとエジミウソンが中盤でイマジネーションとテクニックを見せつけ、彼らを軸に最終ラインと前線が絡み合い、非常に有機的な攻撃を組み立てている。

大分の40分の攻撃を見よう。
GKのナイスセーブからエジミウソンが左サイドを駆け上がる。中を一瞥してマグノアウベスに預け、自分は前線へ。マグノアウベスはシュートを放つがDFに当たりこぼれ球を上がっていたトゥーリオが再びシュート!このあたりの配役は根本が左サイドだったり、預けられるのが高松だったりするが2.5列目からバンバン飛び出してくるという攻撃は変わらない。
一方のJEFはストヤノフを中心とした強固なDFラインの上に坂本・阿部がこれも運動量豊富に動き回り、大分の意思をことごとく打ち砕く。特に上記40分のプレーでマグノアウベスが預けられたところでシュートコースを切ったのは佐藤勇人。破綻なく、しかも質の高いDFは豊富な運動量から生まれるものだと教えてくれる。

JEFのチーム戦略に一日の長があるのは間違いなく、それは唯一の得点となったリスタートの場面に象徴的だが、それでも大分のやっていることが間違っているわけでは決してなく、Jリーグ開始当初のように「こちらのブラジル人3人と相手チームのブラジル人3人でサッカーやっていた」(元Jリーガー某選手)トゥーリオ・エジミウソン・マグノアウベスに依存しているわけでもない。それは監督の言葉からもうかがえる。
「今日はひとつのビッグチャンスで失点してしまったが、我々も最後まであきらめず戦ったし、選手にはいいゲームだったと話した。結果は敗れてしまったが、サポーターもいいゲームを見たのではないかと思う。両チームとも素晴らしいサッカーをしたし、本当のビッグゲームだった。」(シャムスカ監督)

一方でオシム監督の言葉、これは試合を額に入れるとすると一緒に説明文として付けておきたいほど素晴らしい言葉だ。
「例えば練習で紅白戦をやる時、どちらかのチームが点を取ったら終わり、ということをよくやります。今日の試合は公式戦だが、最後に点を取ったチームが勝ったという試合だった。大分は前半すごく落ちついてプレーし、逆に千葉は後半とてもアグレッシブに戦うプレーができた。ひとつ重要なことは、大分の重要な選手、2トップの2人をしっかり抑えることができた。それが勝因だったと思う。以前の大分は失うものが何もなく、とにかく勝たなければならないという状況だった。そこで勝ちを重ねることにより今度は逆に失うものができ、思い切りできるような状況ではなくなったのかもしれない。ただ今日はすごくいい試合だったし、どちらに転んでもおかしくはなかった。大分はこれまでにとても大きなことを成し遂げたし、今回は1歩後退したが、次に2歩進んで欲しいと思う。人生とはそういうものだ。」

繰り返しになるが、両チームともリーグの優勝争いに絡んでいるわけでも、幸いな事に残留争いに絡んでいるわけでもなく、そうした意味ではTBSのスーパーサッカーでもごく平凡な試合の扱いになっているのもやむをえないのかも知れない。しかし、それにしてもこの試合を見ることもなく、日本のサッカーはどうなっているか知ろうともせずに安閑としている代表監督はシャムスカ監督と同じブラジル人かと呆れてしまう。

さらに言えば、両チームには阿部・高松のような代表候補は居ても代表当確の選手がいない。こうした素晴らしい試合を戦いきった選手達が否定されているようで、非常に残念だ。
ったくどこ見てんだよ…

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アウトビアンキ アバルト A112

車には興味を失ったと思っていたのだが・・・

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昨日、新入社員のころに色々お世話になった方と一緒に晩飯を食べながら車の話になった。
香妃苑の鶏煮込みそばを食べながらね・・・

super7.jpg彼はスーパーセブンを買っちゃって、でも離婚するんで慰謝料を捻出するために泣く泣く売っちゃった人なのだが、やはり最近はおとなしめのレガシィ・・・
もう一人は最近の仕事上のパートナーで、これはカンガルーバンパーとマーシャルのフォグをつけたハイラックス・サーフが好きだった奴。

で、俺はと言うと・・・
「今は移動手段ですよね、まぁせいぜいトゥアレグかな、あれであがりでしょう」と言うおっさんになっちまった。

「あの車は地球に優しくないよ」と諫める彼もレガシィの水平対抗6気筒に乗り替えを狙っているわけで、それがトゥアレグよりも地球に優しいかどうかは疑問。
「じゃあ、まぁハリアーのハイブリッドモデルですね」
「ふーん・・・」
とまぁモーターショーだというのに最新モデルの話も出ず、隠居が3人集ってるような覇気のない会話に終始してしまったわけだが・・・



おりせーさんの所で僕のUpしたDSの画像に反応されて、様々な事を想起されているのに僕も反応。



アウトビアンキのアバルトが欲しかったんだよ!

当時高かった、不当なほどね・・・(^_^;)
左ハンドル、マニュアル、サーボ無しのブレーキに加えて「キャブから燃料が洩れてエンジンルーム燃えちゃったんですよねー」と平気な顔してクスクス笑うディーラーの兄ちゃんに「へぇ~」と怖じ気を振るったら相手の思う壺って事なんだよね。
訳知り顔で「リトモのアバルトとどっちが良いでしょうね?」なんて聞いてみたりしてた。

クーラーしかつかない、そんな車だが最近は程度の良いものがかなり安く入手できるらしい
サッカーもできないくらい老いてしまったら、そして程度の良いワインレッドのアバルトが入手できたなら、今度はそれに乗ってブーンと走り回ってみたいもんだなぁ~♪

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私たちが選ぶ!

ずっと以前に日本協会と日本代表について書いたことがあった。
『サッカーができた』日本のこれまでとこれから」ってな感じ。
その中で、僕は川淵キャプテンについて
「実際問題今の協会に川淵氏以外に会長として適任と思われ、かつ日本サッカーを改革していこうという熱意に溢れた指導者はいないだろう。」としている。

あれから数年経過したのだが、この状況に変化が見られないのが残念だ。

そして
「もちろん、代表決定に至るプロセスや水面下での調整作業(鈴木チェアマン・平田理事等)の功罪はきちんと見ていく必要があり、御用マスコミと思われる人間が周りをかためている現状ではなおさら異議申し立ての声をあげるのは私達の義務とも思われる。」
と、僕は偉そうに書いている…(^_^;)

今、ワールドカップの出場国もすべて決まっていないという状況下において…
「ワールドカップ後に私が選ぶ」という発言がでてきている。

何故?今?この段階で?その発言の趣旨は?
どうせ変えるなら今変えて欲しいのだが…
まぁ、それはそれとして、なぜ「私が選ぶ」のか?
川淵会長が人を選んで作り出した組織は機能しないのか?
きっと、川淵会長はフィリップ・トルシェ後に強化委員会が出してきた人選に非常に不満だったのだろう。
『ったく、こんな適当な人選しやがって…』
と、心の中で愚痴って
『んな事なら俺がジーコを指名する』
ということでできた代表監督なんだろうな~

ということで自分の組織を信頼することを止めた川淵会長は
『次も俺が選ぶ、見ろ、ちゃんとジーコでドイツ行けるじゃねぇか』
とまぁ結果オーライに気をよくしての決意なんだろうなぁ…と僕は想像する。かなりの脳内スキャンですがね、そう間違っていないと思うのだが…

さて、川淵会長の気持ちを忖度してもしかたないので、実際の発言に対してなのだが…

単純にいうと「私たちにも選ばせろ!」ってことだ。
A代表というのはその国のサッカーのショールームである。従って代表監督とはそのショーの演出家であり、数多の指導者の頂点に立つ存在だろう。
自分ばっかで決めてないで、俺達にも選ばせろよ!って僕は思う。

さらに言うと、機能しない強化委員会(もしくは代表監督選考機関)を設置したのは会長の責任なのだから、その責任の所在も蔑にして「次も俺が」ってのはないだろう。

次は私「達」が選ぶ

Pourquoi j'ecris le "blog"?

エルゲラさんのエントリーに思う。タイトルは「なぜ私はblogを書くのか?」答は最初に出ている。「書きたいから」だ。

僕のblogは2004年の1月31日から書き始めているので、1年半以上が過ぎたことになる。

かなり早いほうだと思う、その間の記事総数は334件。
飽きっぽい自分にしては良く続いたほうだと思っているが、最初は何の気なしに無料で使えるところがあるという事を知って始めただけだ。
最初に書いたものは忘れもしない、「バランス
「人生(を支配するの)は血糖値、人生(で最も大事なもの)はバランス」という処世訓を発見したので、それに従って生きているつもりなので、とりあえず書いてみた。

以来、誰かに読ませようと意識してものを書いたつもりはない。いや、もちろん公表するわけだから誰かが読むだろうとは思ったが、特定の何かや誰かを念頭において記述した覚えはないんだな…自分のサッカーに関する記述も多く、最初の頃は日記の延長のつもりだった。

とはいえ、まったく何の意図もないかというと、そうでもなく、しいて言えば、「時が過ぎていくにつれて忘れられるもの、ないがしろにされつつあるもの」を「そうじゃないでしょ?!」と引っ張り出して埃を払って、棚に戻してあげるようなつもりで書いていたこともあったなぁ~
スパークスとか伊丹十三、植草甚一あたりの事とかね。

04年のエピソードではEuro観戦記がでかかった。
あぁいう旅行をあぁいう仲間達と共にできたのはもの凄くうれしいことで、これは残り少ない私の人生でも稀有な体験の一つであることは間違いない。(40代になると、何か心に残ることがあると『あぁ、この経験はずっと覚えているんだろうなぁ』なんて思ったりしてるんだな、『生きることの美しさは若い人には判らないわ(「大空港」より)』ってなもんだ)
もう一つ、ワールドカップ予選というものの存在が大きい。
僕はとりわけ隠すつもりはないけど、代表は好きだが今の代表監督は試合の翌日すーっとブラジルに帰る事を筆頭に、嫌いな点が多い。ただ、ワールドカップ予選についてはなるべく冷静に評価しようと思っていた。ただ、あまり面白いサッカーでもないので書こうと思うことが少なかったが…

一方で予想したよりも東京の試合に関する記述が少ない。
これは、もともと東京の試合では戦術的とか分析的に試合を見ることを放棄しているからであり、遠いアウェイでもない限り東京の試合はスタジアムで見るので、試合後は半ば放心状態で勝てば良かったー!負ければくっそー!で終わる。記事なんてそうそう書けるわけもない。
ちなみに、僕が今まで見た中で東京のベストゲームは2004年セカンドステージ、ホームでの浦和戦。もの凄い死闘で、東京はそれまで負けのなかった浦和を破るわけだが試合開始10分で既にぐったりするほど疲れちまう、それほど入れ込んだ試合だった。ただ、試合展開など覚えてもいない…(笑)
そういう思いをさせてくれたという事で十分だ、そういう試合をテレビの録画で見直そうとも思わない、あの時にあのスタジアムで感じた濃密なものが嘘になってしまいそうだから、未だに見ていないのだ。

最後にもう一つ、これは自分が経験して自分の引き出しに入っているものを虫干するような感覚なんだけどね、過去の経験や想いを記述するということ…
音楽とか、そういうものにあらわれてきているが…
ま、これは「早めの老いの繰言」と思って諦めて欲しい。

2006年はドイツ・ワールドカップの年だ。Blogもそれ中心になるのだろうと思う。
実際、僕はユーロの仲間達と再びまみえ、オフのサッカーバカの炸裂を再現したいものだと思っている。

本当に思っている。

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のだめカンタービレ批判序章

なんたって、土産のチーズをしこたま喰いながら、ヴァルポリチェッラ飲んでるわけだから、当然酔っ払いなわけだ。だからこのエントリーの論旨が一貫しているかどうかは非常に怪しい。

漫画喫茶ってのは漫画に関する私営図書館だよね?インターネットも使えるし、飲み物も飲み放題とくれば、あの料金で空き待ちの行列ができるってのもあながち不思議じゃない。
唐突に展開した話は、僕が「のだめ」を読みたいがために初めて漫画喫茶に足を踏み入れたときに始まるわけだが…
漫画喫茶に常備されている本は、非常にまともでかつ再読に耐える漫画ばかりだ。
そりゃ、エロ漫画とかないわけじゃないが非常に少ないもしくはコンテンポラリーなものしか置いていない。(僕としては横山まさみちの集大成なんてあると興味が湧くのだが…)

で、去年かな…「のだめ」を初めて読んだ。
僕が籍を置いていた大学の近くにある音楽大にそっくりな風情の学校が舞台。
そこの優等生と落ちこぼれが主人公で…

非常に面白いので、是非とも漫画喫茶なりAmazonで買うなりして読んでくださいませ。
実に緻密な調査と取材、そして多分現役音大生およびクラシック奏者からのアドバイスが山ほどありそうな第1巻からしばらくの導入部分。

「のだめカンタービレ」の面白さはこのようなリアリティの中にある。
それは練習場所となる小部屋の狭さだったり、試験会場のなんともいえぬ埃っぽいような緊張感あふれるだだっ広い教室だったり、神童といえども減る腹を抱えて作る料理だったり…

過去、どういう偶然か知らないけど楽器奏者もしくは音楽関係者としか付き合ったことのなかった(もしくは長続きしなかった)自分としては、「のだめ」の中にある試験を受けに行く時の顔ととりあえず終わった時の安堵感あふれてる様子なんかは凄くよくわかるもので、ハリセン教師なんか、実在するどころかあんなんばっかりじゃねーかって思うほどリアリティのある設定だった。

わかんない人にはわかんないなぁ…
ゴメンね…

千秋とのだめの大学卒業で、パリ。
コンセルバトワールはいまやラ・ヴィレットだからね…
そして、その練習場や生活の場所にリアリティがなくなってしまった…
やつらが何を食ってるのか、移動の手段はなんなのか、何に悩んで、何にあこがれているか?学食の飯は美味いのか不味いのか?
そういうリアリティが「パリでの生活」ってものからまったく消えうせている。
だいたい主人公の「のだめ」なんて、みょーに目が大きくて可愛い系に変身し始めてるしさ~

リアリティがなくなったセミドキュメンタリーギャグ系マンガからリアリティーを消しちゃあいかんだろう?
ジーコサッカーから「自由」とか「楽しい」とかを消しちゃうようなもんだ…

んー…やっぱり完結しとらんなぁ…(^_^;)
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